忘れてたくても忘れられないことがある一方で、忘れてはいけないことを忘れてしまうことがあります。
努力して忘れないようにしようとは思うのですが、人間だからやっぱり忘れてしまうこともあるんです。
そういうことをできる限り防ぐためには、反復することが大事です。
細かいことは忘れてしまったのですが、「なんとかの忘却曲線」というものがあって、人間は憶えたことのうちの何パーセントかを何時間か経つと忘れてしまうそうです。
でも、忘れちゃったらまた憶えればいいだけです。
しっかり憶えておきたいことは、結局のところ反復するしかないんです。反復することで記憶にしっかり定着させる効果が当然ありますし、類題をこなすことで自分の引き出しが増えれば、問題を解くスピードが上がります。
英語などは「えーと、be動詞を前に持ってきて、その次は…」などと考えるまでもなく正解できるようになります。
中学生ぐらいからは、問題を解くスピードも重視していきたいと考えています。
そのためには経験値を上げてもらうしかないのですが、それは本人にしかできないことです。
結局は本人なんですよね。
生徒の努力を無駄にしないために、私も精一杯サポートしていきたいものです。よし、がんばろう。
今日はエアコンのリモコンをどこに置いたか忘れて大変でした。
追記: 文中の「なんとかの忘却曲線」は本当は「エビングハウスの忘却曲線」といって、20分後には42パーセントのことを忘れ、1時間後には56パーセント忘れ、1日後には74パーセントも忘れてしまう、というものです。
調べながら書きました。明日になったら忘れちゃうと思います。
もう何年も前のことです。…いや、何十年も前のことです。
中学校の夏休みの宿題として、ポスターを描くという課題がありました。
学校というところは、なぜか隙あらばポスターを描かせたがります。好きなのかな、ポスター。
そのポスターを友人の家で一緒に描くことになりました。子供のころの私はほんの少し絵が得意なほうだったので、多少なりとも友人にとってプラスになるとあてにされていたのかもしれません。
しかし描き始めてビックリ。その友人は明らかにやる気がなく、とにかく終わらせさえすればいいというような感じで適当に線を引いていきます。
いや、ちょっと待ってくれ、なんだそれは、と私。そこで彼は「才能がない」から適当にやるのだ、と言いました。
たかが中学校の、たかが夏休みの宿題に、才能なんて要らないよ。と私は思いました。
そのことをどう伝えたのか、または伝えなかったのか憶えていませんが、そのあと少しだけ絵の描き方を説明して少しはマシなものを描くのに貢献できた記憶はあります。
絵の描き方の説明などと言うと大層に思えるかもしれませんが、四角いものはまっすぐな線で描く、とか遠くのものは小さく描く、とかいうレベルの話です。
もちろん才能なんて関係ない話です。本人が簡単なことすら理解していないだけのことです。
こういうことが宿題のポスター以外でも頻繁に起こっているように思えて仕方がありません。
「俺には英語の才能がない」
「私には数学の才能がない」なんて思っていませんか?
違います。才能なんて要らないんです。
この国が、たかだか15歳までの子供たちに、義務教育として、才能がなければできないようなことをやらせると思いますか?
まずは基本を理解しないとそれ以上のことはできないというだけ。ただそれだけの簡単な話です。
いきなり難しいことをやろうとするから、才能がないように感じるだけです。
だから理解しましょう。基本からコツコツと。
小さなステップでいいんです。
才能がないからあきらめるって、本当はかなりレベルが高くないと言えないことです。
「高橋由伸と出会って自分の才能の限界に気付いてプロになるのをあきらめた」って私が言ったとしたら、どう思います?
それなりには野球やってた人なんだな、と思いますよね。
実際には野球やったことありません。だからそういうことは言いません。
ちなみに私が少年時代に少しだけ絵が得意だったのは、小さいころに漫画ばかり読んでいたからです。
別に才能があったわけではなく、漫画を真似して描いているうちに少しずつ基本みたいなものが身についたのだと思います。
しかしなんなんだ、ポスターを描く課題って。大人になってからポスターなんて描いたことないぞ。…と書こうと思ったのですが、何度か頼まれて近所のゴミ捨て場などのポスターを描いていたことを思い出しました。
最近、部活動に対して批判的な意見を多く聞きます。
確かに週に一度の休みもなく、朝早くからの練習もあり放課後は夜までまた練習というのは、生徒にとってよくない面もあると思います。
ただ、一度しかない人生の一度しかない中学校生活です。
部活ばかりで勉強がおろそかになった場合も、勉強ばかりで部活ができなかった場合も後悔します。多分。
だからできれば両立しましょう。
ここでいう「両立」とは陸上で中学生記録を出しつつオール5、とかいうものではなくていいです。
世の中には厳しい大人がいて、そんなことではどっちも中途半端に終わる、などと忠告してくれたりします。
そう言われてしまうと、確かに俺って中途半端だよな、と思ったりします。
でも、それでもいいじゃないですか。
どんなことでもその道を極められるのは、ほんの一握りの人だけです。
あとはみんな中途半端でいいじゃないですか。
いろいろな生き方があります。みんな少しずつ後悔したり反省したりしながら生きています。
そういうものの、入り口から入ってすぐのところに小学校や中学校があるんです。これからいろいろなことが起きます。どんなことでも楽しんで、一生懸命がんばれたら素敵ですよね。
部活も勉強も、自分の身の丈に合わせて精一杯がんばればいいと思います。きっと将来の大切な糧になりますよ。
これから気が向いたときにでも、塾経営に関する自身の理念などについて書いていこうと思います。
ウェブサイト内のほかの場所に書いた文章と少し違う部分もあるかもしれませんが、あまり気にしないで書きます。
私は勉強ができない人が嫌いではありません。
別に勉強なんてできなくても立派な人はたくさんいます。
勉強なんて人生のほんの一部でしかないと思っています。できなくたって大した問題じゃありません。
ただ、だからといって簡単にできることまで無理やり遠ざける必要はないのになぁ、と昔から思っています。
中学校で習う英語はとても簡単です。
それは大人の視線で見てるからだろうと言われてしまうかもしれませんが、考えてみてください。
基礎中の基礎から始めて、週にほんの少しの時間の授業を3年間やるだけです。そんなに難しいところまで到達できるとはとても思えません。
母国語と外国語の違いはありますが、アメリカやイギリスの小さな子供でも理解できることです。日本の中学生にも理解できて当然です。
難しく考えるから難しく感じるだけですよ。
おそらく、私には簡単なことしか教えられません。
でも、簡単なことを難しく見せかけるようなことは一切しません。
簡単なことは簡単に済ませましょう。
少し難しいように思えることだって、ちょっと分解してしまえばそれほどでもないことが多いです。
難しく考えすぎて簡単なことまで難しくしてしまうなんて、時間やら労力やらがもったいないですよ。