話題の漫画「君たちはどう生きるか」を読みました。
1937年に出版された、吉野源三郎さんの名著と名高い原作を、羽賀翔一さんが漫画化してくれたことで、ようやく私でも手が出せるようになりました。羽賀さんには足を向けて眠れません。
漫画の合間に、主人公のコペル君に向けて叔父さんが記したノートという体裁の文章が何度も出てくるのですが、その中に小中学生のみなさんにぜひ読んでもらいたい一節があります。
経済的な事情などから家業を手伝っているために、一時的にですが思うように学校に通えず、学業の面で苦労を強いられている級友の浦川くんについて言及したあと、それに対してコペル君は…という流れです。
「それだのに君には、いま何一つ、勉強を妨げるものはないじゃあないか。人類が何万年の努力を以って積みあげたものは、どれでも、君の勉強次第で自由に取れるのだ。」
現在よりも経済的な格差が大きく、またその格差が教育の格差に否が応でも直結していた時代の話です。コペル君はかなり恵まれた身分だったと言えます。そして、現代に生きる我々は、情報などの面においてコペル君よりもはるかに恵まれています。
インターネットに代表される情報技術の進歩は目覚ましく、公教育も含めた公共のサービスも、この本が書かれた80年前とは雲泥の差でしょう。
イギリスの2ポンド硬貨の縁には、かのニュートンの言葉として”STNADING ON THE SHOULDERS OF GIANTS”という文字が刻まれています。
ロバート・フック(細胞=cellの名付け親)に宛てた手紙の「私がより遠くを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に乗っていたからです。」という部分からとられたそうです。
自身の偉大な功績を、自分一人の手柄ではなく多くの先人たちの力によるところが大きいのだ、と語っているわけです。
(ちなみに今回調べてみて初めて知ったのですが、この表現はニュートンのオリジナルではないそうです。)
図書館でも本屋でも…などというまでもなく、インターネットのおかげでどこにいても大量の情報を入手できるのですから、情報という面だけ見れば、我々はニュートンよりも恵まれているかもしれません。
玉石混交という弊害はあるものの、情報を入手する難易度は加速度的に下がり、その難易度が下がったところで情報の価値が減じることもありません。
情報をいかにして自身の血肉に変えるかは、いつの時代も本人次第です。
「人類が何万年の努力を以って積みあげたものは、どれでも、君の勉強次第で自由に取れるのだ。」
あらゆる場所で、たくさんの優しい巨人たちが、我々を肩に乗せてくれようとしています。
そんな時代に「どう生きるか」。
たまには立ち止まって、そんなことを考えてみるのもいいのではないでしょうか。