学問に王道なし、という言葉があります。
長年この「王道」を「正攻法」というような意味かと勘違いしておりました。
「学問というのは人それぞれ違うやり方があるもので、これこそが正解!というような決まった方法などない」
なるほどなるほど!昔の人はいいこと言うね!とか思ってました。恥ずかしい。
実際にはユークリッドという学者がプトレマイオス1世という王様に対して言った言葉で(※)、王道というのは文字通り王様の道のことを指し、つまり「王様だからって特別に楽な方法で勉強できるわけじゃないですよ」という意味だそうです。
なるほどなるほど!昔の人はいいこと言うね!
ユークリッドやプトレマイオス1世がよく分からない人は、とりあえず昔話に出てくるような学者と王様だと思っておいてください。逆に「ユークリッドやプトレマイオス1世のことなら何でも知ってるから任せて!」という方は、何故こんなブログにたどり着いたのか、後学のためにコメントでお知らせいただけると助かります。
そんな王様とそれ以外の人では環境が違いすぎる気がしなくもありませんが、同じ条件の下ならあとは本人が自分で憶えて自分で考えるしかない、ということなのでしょう。これなら確かに「王道」などありえない話です。
個人的には「王道」の逆の道は存在するような気がしています。無駄が多くて実りが少ない困った学習法です。
思い切って書きますが、学校の授業の一部はこれにあたると思っています。
「すべての学習者は、その人にとって必要とされる時間をかければ、すべての学習課題を達成できる」と、アメリカの心理学者、ジョン・B・キャロルという人が言っています。
人それぞれかかる時間が違うんだ、ということです。そのとおりだと思います。
時間をかければできるのに、ゴールにたどり着く前にあきらめてやめてしまうような方法は避けるべきです。
システム上仕方のないこととはいえ、学校の授業では全員に同じ時間しか与えられていません。そのせいで「できる子」と「できない子」に別れてしまうのはとても悲しいことだと思います。
もし、この文章を読んでいるあなたが、またはあなたのお子さんが、学校の勉強ができなくて悔しい思いをしているのなら、ぜひ一度「さいとう学習教室」に遊びに来てください。
弱点判定やスモールステップでの戻り学習に最適な「すらら」という教材を用意して待っています。
あのプトレマイオス1世ですら使ったことのない最新鋭の教材です。
※アリストテレスがアレクサンダー大王に言った、という説もあるようです。